やあ
id:chris-x86-64 a.k.a クリスです。BASE株式会社100%子会社のPAY株式会社でセキュリティエンジニアをやっています。
新卒でここで勤めはじめて3年半が経ちました。わたしは大学在学中に畑を開墾し、大学を卒業する直前くらいにはこのまま農家になるんじゃないかと噂されていたものです。 卒業・就職した後も当該の畑を続け、社内でも農家転身やすでに本業が農家なんじゃないかなどと噂されていましたが、なんと後輩たちが卒業しさらに就職に伴い東京へ吸い込まれすっかりスーツとパソコンの人にトランスフォームするなど、27歳にして過疎化と農業の高齢化に直面し、畑は丸4年でサービス終了となってしまいました。それが今年3月のことです。
さて、畑を失ってしまったわたしですが、ほとんど同時に次の生きがいを見つけてしまいました。
それは、野生化――もとい、キャンプ。
以下は、セキュリティエンジニアというコッテコテのコンピュータギイクなわたしが、そのまるで対極に位置するアクティビティである野生化とのへんてこりんな関係について触れ、テクノロジーの世界に生きる者が母なる自然に回帰して考えたことなどを綴ろうと思います。
どうしてキャンプするんですか
ぜんぜんわからない。俺たちは雰囲気でキャンプをやっている。
実はキャンプについて考え始めたのは今よりもだいぶ前、2013年のことでした。
いつものように漫然とTwitterを眺めていたら、 Thomas Backlund さんという起業家の特集記事が目に留まりました。なんでも彼は起業して自らコードを書くエンジニアであると同時に、アパートを引き払って自らの意志でホームレスとなりスウェーデンの森の中で暮らすという、ぶっ飛んだギーク特有の強烈な二面性1を持ち、それに惚れ込んだわたしもエンジニアとして、またホモ・サピエンスとして、強く生き抜いていきたい、そう感じさせてくれました。目標達成のために浮世のすべてを捨てて野生に還る生き様を、わたしも体験すべきだと考え始めました。
そうは言いましても当時わたしは学生。すぐさまキャンプ道具を揃えてどこでもないどこかへ脱出したい気持ちだけ高ぶらせるも、大人の機動力(要するに資金力)は持ち合わせがなく、大学が森だの原野だの評されていることをいいことに、ここで暮らしていれば実質ビッグフットだと自分をごまかし続けました。
結局決心がついたのは、あの記事を読んでから5年後。言わずもがな例のアニメが後押しとなりました。キャンプへの思いを長きにわたり燻ぶらせていたところに、あの気象レーダーみたいなでっかいお団子ヘアのキャラクターがAmazon Prime Videoに現れたのです。
今やるしかない。
脳天に雷が落ちて30分もしないうちに、わたしのAmazon.co.jpアカウントには7件ほどの注文履歴が並び、翌日にはわたしの社内Slackのアイコンが山梨銘菓になりました。これが2018年7月のこと。翌月ソロキャンデビューを果たしました。
(本当のところ)どうしてキャンプするんですか
実際にキャンプしてみると、健全な自分が取り戻せるように感じられます。
五感を取り戻す
はじめに聴覚――どんなに静かなオフィスでも人間がいる限り音がします。人間の音がやたらめったら苦手であるわたしは、チャンスのある限り余計な音がしない空間に隠遁しないことには生活がままなりません。実際のところそれがわたしが今もつくば市に住み続けている理由の主たるものですが、それでも小川のせせらぎや木々のざわめきにはちょっと遠いです。そこで、川辺や森の中などのキャンプサイトにテントを張って大の字になってみると……川、木々、大小の鳥、シカ、ノウサギ、クマ(これはちょっと困る)など、我々と共に暮らしている友の声がします。耳をすませる自由がそこにはあります。わたしは常にこの「耳をすませる自由」を求めています。
次に視覚――職場も通勤時間も自由時間もブルーライトまみれ。人類を未来へ導く存在として崇められてきた「光」ですら牙をむく21世紀ですが、森の木の葉に反射された太陽光だけは今も昔も変わりません。太古から人間を包み込んできた光に回帰すると、視覚が解放されます。山の上のほうのキャンプサイトなら、数十km、数百km先の景色が見えることなどもあり、上方向なら250万光年離れたアンドロメダ星雲も見えます。360°前後左右上下ヒトヒトヒトヒトヒトアンドヒトな都心とはわけが違います。
次に嗅覚――日常的に人間や機械類の排ガスを浴びているので、たまには光合成する木々の真横で寝泊まりして呼吸器の浄化を図ります。キャンプ場でする匂いといえば、木の葉、小川、焚き火、露のついた石、肉……原始時代にもきっと同じ匂いがしていたと思います。鉄と油と汗だけが人類文明ではないことを噛みしめると、なんだか安心します。
次に触覚――風が気持ちいい(または寒い)、焚き火が暖かい、温泉でとろけそうになる、新雪を踏んだときの「くわっ」という沈み込み……これらはみんな肌の感覚です。
そして満を持して、味覚――これは自由を取り戻しているというより、 外ごはん効果で3倍おいしい(例の山梨のでかい団子談)飯が食えるという、幸せ要素になります。焚き火で焼いた肉、ちょっと焦げた米、やっぱり焦げたツナホットサンド、お隣キャンパーさんのカレー、焼いたマシュマロ、約束された勝利のコーヒー。もちろんウォッカも欠かせません。焚き火にはステンレスのフラスコに入れたウォッカが合います。
人生を取り戻す
わたしはエンジニアでありながら電源のひとつ存在しない空間でも息をすることができる、これだけで強く生きている実感がわいてきます。酸素にも並ぶ生命線であるインターネットコネクティビティの有無によらず生存できる、両生類みたいなものを目指しています。
キーボードをカタカタやって生計を立てているエンジニアにこそ、電源だのWi-Fiだのがきれいさっぱり存在しない空間を生き抜いて、アナログでローテクな生活に慣れ親しむことに大きな意義があると考えています。我々の生活は高度な分業化のおかげでいろいろな道のプロがいて、ほかのプロと専門分野を分け合って全体で巨大文明を作ったうえに成り立っていますが、本当は一人ひとりが自分だけの生命を紡げるはずなのです。
以前からわたしは自分の文明を持ちたいと考えており、そのためには自分ひとりでできることを可能な限り増やす必要がありますが、その基礎がサバイバルスキルというわけです。このご時世なのでそこら辺の公園は軒並み焚き火禁止ですし、野生に還ろうにもほぼすべての国土には所有者がいて、勝手に住み着いて狩猟採集生活を営むと罰されます。そんな時代において人類が初めてエネルギーを手にした様子をそっくりそのまま再現できる場所がキャンプで、わたしはそれに救いを見出しています。
気持ち
キャンプの話で社員と雑談していたら飛び出してきた疑問がこちら: 「キャンプ中は何を考えるんですか?」
これにはわたしなりに答えがあります。キャンプ中は考え事が無いことが健康の指標だと考えています。
調子がいいときは、憂いが無いので考え事が無く、ただ焚き火を眺め、ごっつい肉を食らい、暗くなって気温が下がるのを肌で感じるのみです。逆に調子が悪いときは、焚き火を見つめながら頭の中をいろんな心配事が渦巻く傾向にあります。
こんなふうにキャンプ中に考え事があるかないかは、自己の精神の健康状態の理解の助けになります。
ところで精神状態にかかわらず、河原に座って川の音に集中すると、ただのひとつも考え事をしない、最も落ち着いた自分を体験することができるように思えます。これがわたしにとってのアウトドア――精神統一の場です。
余談ですが、キャンプを始めたての頃、川の音に全身全霊で集中していたとき、涙したことがあります。精神統一を試みて逆にありとあらゆる感情に圧倒される現象は、初めてヨガを体験した人にも起こることと話にきいています。
キャンプ場の決め方
さて、これだけの目的を持ってキャンプに臨むには、相当な下調べが必要になることがあります。
ここは21世紀らしく、キャンプ場検索・予約サイトを使っています。最もよく使うのは「なっぷ」です。 候補の絞り方はだいたい次のとおり:
- より空いているところ
- 人間の生活音から可能な限り距離を取ることが目的
- 予約状況をなっぷで確認して、空きが多いことが確認できたら有力候補
- オフシーズン、冬季可
- 雪上キャンプは人が少ないうえ、雪に騒音が吸収されるので非常に静かで心地よい
- 周辺環境や立地
- 川があると天然のホワイトノイズがあるのでリラックス効果大
- 標高が高いところは空気が澄んでいて気温が低めで、リフレッシュ効果大、星も見えやすい
これまでに行って良かったキャンプ場には、猪苗代湖モビレージ(福島県)、小国白い森オートキャンプ場(山形県)、洞爺水辺の里財田キャンプ場(北海道)を挙げます。とくに猪苗代湖モビレージは通年営業で積雪期も営業しているので、雪上キャンプが楽しめます。
なお、そういったキャンプ場は往々にして辺鄙なところにあって、マイカー無しにたどり着くことは極めて困難です。やっぱり20世紀21世紀の人類文明や資本主義経済の囚人であることに変わりありませんでした。これからも人々の資本主義経済を支え守ってゆきます。どうぞPAY.JPをよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
次回予告
明日12/22は、Data Strategyチームの粟村さんと、CSE Groupの山根さんです!お楽しみに!
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ここでは「二面性」は褒め言葉として使いました。↩